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支援制度

【メンター紹介】松本多絵先生に質問してみました!(One Health メンター制度)

2025年10月31日

本事業の支援の一つにメンター制度があります。

        • メンター担当の先生方は、研究者のしあわせなキャリアを応援する『しあキャリ応援隊』です。
        • 研究者の皆さんにこの制度を身近に感じ、気軽に利用していただくため、『しあキャリ応援隊』の先生方に質問をしてみました。

  • 【メンター紹介 Vol.16

松本 多絵先生

  • 日本医科大学多摩永山病院 小児科 教授(教育担当)
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プロフィール

https://researchmap.jp/nms_matsumoto_t

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        • 進路を決めた理由
          もともと「人間とは何か」「自分とは何か」を知りたくて、人そのものに興味を持っていました。理系科目は苦手でしたが、精神医学への興味が深まり、中学3年の頃から数学の塾に通い、医学部を目指しました。
          その過程で、親戚や同級生など、近い年齢のこどもを複数亡くす経験をしました。助けられない命があるとしても、学べば助けられる命があるかもしれない。そう思うと、勉強しない理由が見つかりませんでした。人間への興味と、命を助けたいという気持ちが並列したまま、医師になりました。
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        • ライフイベントとの付き合い方
          あまり先のことを細かく計画することは得意ではなく、その時々にやってくる出来事に向き合いながら進んできました。
          子育ては思うようにいかないことの連続で、こどもが学校に行けなくなったり、やめたり、進路を探していろいろな機関と話し合いを重ねる日々でした。支援を受けながら過ごす中でも、少しずつできることは続けたくて、自分自身の歩みを続けたい、そして医師であり続けたいという気持ちは途切れませんでした。
          夜にこどもを寝かしつけながら論文を書いたり、限られた時間の中で専門医や資格を取ったりしてきました。振り返ると、その積み重ねが今の自分を支えています。
          こどもたちと試行錯誤を重ねてきた経験は、今、患者さんやご家族に寄り添う際の大きな力になっています。完璧にできなくても、「続けてみる」「諦めない」ことが、後で必ず自分を助けてくれる。そう信じて、今も日々を過ごしています。               

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          • 研究・キャリアについて
          • 大学院では、低ホスファターゼ症の遺伝子治療が研究テーマでした。
            時間が限られる中で実験を進め、仮説が実を結ぶ瞬間の面白さを知りました。テクニシャンや留学生など、周囲の支えに助けられたことが多く、泣いたり笑ったり、彼らの存在は本当にありがたかったです。
            時間の制約を負いながら早く帰る自分を後ろめたく感じる時期もありましたが、「限られた時間だからこそ実験を絞って効率的にできている」と言ってくれた同級生の言葉に励まされました。
            臨床に戻ってからは思うように時間が使えず、無理を重ねて体調を崩し、1年ほど休むことになりました。何もできなかったその期間が、今では人の弱さを理解する視点を与えてくれたと思っています。
            もっと専門性を突き詰めたかった気持ちもありますが、さまざまな分野を学んできたからこそできることがあると思って、これまでの経験を社会に還元し、自分を活かせる形で仕事を続けていきたいと考えています。
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          •  研究テーマ:
          • ①低ホスファターゼ症の遺伝子治療
          • 大学院時代に患者会の方々のお話を伺い、モデルマウスを治すだけでは終われないと強く思いました。臨床に戻ってからも論文をまとめ、現在は低ホスファターゼ症の創薬に向けた仕事に関わっています。15年越しに当時の患者会の方と再会し、臨床応用に近づいていることを直接お伝えできたのは大きな喜びでした。
          • ②性的指向・性自認(SOGI)によらず適切な医療を提供できる環境づくり
          • 誰もが安心して医療を受けられるように、教育・医療現場の環境整備に取り組んでいます。声を上げにくい立場の方に代わって声を届けることも、自分の役割のひとつだと感じています。
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    • 好きなこと 

何かに興味を持つと、一度しっかり向き合う質だと思います。
学生時代は演劇やダンス、東南アジア医学研究会でカザフスタンの医療調査に一生懸命でした。服が好きで、働くようになってからはデザイナーや写真家と交流し、異なる分野の感性に刺激を受けました。野生酵母をたくさん育てて、毎日パンを焼いていた時期もあります。
40歳で登山を始めてからは、健康スポーツ医・パラスポーツ医の資格を取り、パラ水泳の帯同などにも関わっています。

 

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